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FIKA Journal 771

春の足音

 

【春の足音】

阿蘇くじゅう国立公園一帯の野焼きが始まりました。FIKAの住む集落の原野は産山村でも最北端に位置し、その眺めも絶景の場所です。昨日は国道442号線沿いのアザミ台という場所を焼いたあと、日が暮れてから集落まわりを焼きました。昼は阿蘇涅槃像をバックに燃え盛る炎が。そして夜は炎の向こうに浮かぶ満月が何とも言えぬ風情で美しかったです。

そして来たる20日はFIKAの集落と隣の集落の合同の大野焼です。1日中野原を駆け巡り、火を放ち火を治めます。今年も事故の無いように終わらせたいものですね。

HUGO

026

 

【Hugo】
2016年1月30日早朝にグレイハウンドのヒューゴは虹の橋を渡りました。半年間の介護を経て、最後はちょっぴり苦しんだけれど13歳の大往生です。
ラトビアの大地より生まれ遥々来た犬は、最後は日本の阿蘇の大地に還っていきます。ロレンスに捧げた歌を君にも捧げて、僕の気持ちもこれで区切りをつけましょう。
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永遠に回り続けるかように思えた僕らの大好きなメリーゴーランド
とうとうその動きが止まった、13周と少し
巡る季節、ゆっくりゆっくりと僕らを乗せて
でもまばゆい光は徐々に消え、楽しい音楽も今は聞こえない
たくさんの人とともに回った僕らの青春のメリーゴーランド
楽しく愛らしい犬の木馬は少々疲れたみたい
目を瞑るとまばゆい光が心に蘇る
笑顔、歓声、過ぎてしまった失われた時間
あと一周、いやあと半周でいいから
もう一度木馬の温もりを感じながらフワリフワリと
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おやすみヒューゴ

Vacancesの体現

025

 

FIKAがここ産山村にやってきたのはもう10年も前になります。毎日が夏休みのような生活が10年も続く僕の生活。たまにこんなんでいいのかな?なんて思うこともしばしばです。でもよく考えたら人生なんていいとこ70年前後。40代の僕にとっては実質普通に動ける歳月はあと20年ちょっと。つまりあと20回しか季節の移ろいを楽しめないということです。

 

10年ここで夏休みのような人生を過ごしました。あと20年、合計30年。夏休みのような人生をここで過ごす事が僕の最大の夢です。

 

そして今日も僕は川で明日に向かって竿を振ります。

 

 

山のこと

024

 

FIKAはご存じのとおり原木椎茸の路地栽培をしています。原木に使う木は主にクヌギ、ミズナラなどの広葉樹です。FIKAは独自の原木山を所有していませんので、立木を伐る伐採権を他者より買い求め原木を山から伐り出します。

 

近年、椎茸生産者の高齢化、後継者不足、市場価格の低迷などによりその生産数は年々減少に傾いています。これにより原木山が荒れる事態が少なからず起きています。そしてここで大きな問題となるのが里山の保持育成です。

元来里山は人間が長い歳月をかけて作りだしてきた人工的な植生です。つい100年前までは各家庭の煮炊き、暖房などは全て薪によって賄われていました。しかし文化が変化するうちに次第にそれら燃料は近代的なガス、石油に取って代わられ、次第に世の中の表舞台から姿を消していきました。用の無くなった木々たちは伐られることもなく年々大きく太くなりました。

さてこれは里山特有の事例です。元来里山は定期的に木を伐採し地上部の更新を何十年かのサイクルでしてきました。杉等の針葉樹は地上部の伐採をしてしまうと根まで枯れてしまいますが、広葉樹や照葉樹などの木々はある程度根の部分がしっかりしていれば再度新芽が出て最終的には元通りに再生します。この再生は別の意味で木々の免疫力を再度高め、害虫や病気などから自分たちを守る重要なファクターに実はなっているのです。通常の考え方ですと木を伐ったら禿山になって自然破壊になると思われるかもしれませんが、里山に関してはその逆であるのです。

そして木の更新が行われなくなった里山は地上部の老齢化による免疫力の低下により次々と枯れていくのです。一度ダメになった里山を再度再生するにはそれこそ何百年の時間を必要とします。

 

人が手を入れてはいけない原生林。そして手を入れるべき里山。いまFIKAは村内の有志と共同で里山の再生事業を始めています。里山の再生はひいてはその下部にある畑、田、川、海に豊穣をもたらします。また獣たちにも健全な餌の供給源となり、わざわざ獣たちが里に降りてこないでも良い環境を作り出します。

筋道を立てた上で木を伐る。それは時に”木を植える行為”と同等の尊さにもなります。

実は我々人間も自然の一翼を担っているのです。

産山紅茶

022

 

春も終わりに近づきFIKAの「釜炒り茶」作りの季節がやってきました。

 

産山村に来る以前は食品加工は全くの未経験で、ましてお茶などは買うものであって自分で作るものではないと思っていました。しかしお茶の木を頂き集落の人達と一緒に製茶をするにつけ、食品の加工についてのイロハを学び、独自に勉強する機会も年々増えました。

味噌、漬け物、製茶、乾物など暮らしの中で必要不可欠な加工品を作る技術はこの田舎でさえ親から子へと充分に伝承されていません。一昔前は各家庭で作り、その家独特の風味や味があったもの達が無くなる。味の多様性が無くなることは文化の縮小にも繋がる悲しい流れなのかもしれません。

 

今年FIKAでは釜炒り製茶の他に「紅茶」の製茶にチャレンジしてみました。日本茶と違い「発酵」の工程があるので全くの未知の世界でした。

 

・まずは茶の葉を選別してなるべく良い葉を選り分けました。それらを網に広げて「萎凋」という葉の水分を飛ばす作業をします。FIKAは一晩風通しの良い日陰に広げておきました。

・次に揉みの工程です。釜炒り茶の場合は揉みの前にすでに炒ってしまうのでここで大きく作業が分かれます。萎凋させた生葉の繊維を壊し中の汁を出して発酵しやすくすために揉みを入れます。この工程で7~8割の発酵が起きるようですが、生葉の揉みになれていないFIKAは少し揉みが少なかったようで、後でこれが大いにお茶の出来上がりに影響してしまいました。

・揉んで塊になった茶葉を解して空気に触れさせ酸化させる。これを何度も繰り返し十分に葉が潰れたら次は発酵の工程に移ります。この時点で手はお茶のタンニンで真っ赤に染まっています。

・発酵機など無いため即席で発酵場をつくり上げます。まずは濡れたキッチンペーパーで小分けにした茶葉を包み、それを口を少し開けたジップロックに入れます。湿度が90~100%の状態を保ち、なおかつ20~25度の温度をキープします。当日は晴れていた為外気温が25度ぐらいでしたので木の木漏れ日の下に置いて温度をキープしました。

・1時間おきに中身をチェックして全体の8割ぐらいが赤く発酵したら取り出します。この日はその状態になるまでに約5時間ぐらいかかりましたが、発酵機などに入れた場合には2~3時間で発酵完了するみたいです。茶葉は発酵熱でほんのり温かくなっていました。ちなみに発酵させすぎるとエグ味や香りが飛ぶため注意が必要とのことでです。

・最後に発酵を止めるために熱を加えます。通常ですと乾燥機に入れてここで熱を加えるみたいですが、茶葉が少なかったので敢えて乾燥機(椎茸用の業務用乾燥機がFIKAにはあります)ではなくてフライパンで弱火で焙煎しながら水気を抜く事にしました。焦がすと全体に臭いが移ってしまうので定期的にザルにあけて細かい粉茶の部分を振い落しながら弱火で焙煎し続けます。水気が抜けるにしたがって色も黒くなりだし香りも紅茶の香りがしてきました。

・一度茶葉をさまし、未発酵の葉や茎、ゴミを丁寧に取り除き、葉の部分をある程度小さく刻む作業をします。そして出来上がったものを再度弱火で焙煎して出来上がりです。

 

飲み味はサッパリした味で香りも紅茶独特の匂いがします。ただし茶葉の影響なのか発酵の少なさなのか紅茶独特の渋みが足りないような気がします。香りももっと立つにはどうしたらよいか思案中ですが、普通のお茶の葉から紅茶が出来る証明にはなったのでとりあえず成功としておきます。

夏の2番茶葉はいつも放置していましたが、今年は茶摘みをして紅茶をつくる研究をしてみたいと思います。みなさんも機会があればチャレンジしてみてくださいね。

落日の景色

021

 

先日犬を介した懐かしい友人達が訪ねてきてくれました。もう10年来の友人たちは姿かたちこそ変わっていませんがそれなりに人生を重ねて、10年前は隣にいたはずの犬達は姿を消し、新たな人生の場面をそれぞれが模索し続けていました。

10年も20年も変わらぬ人生のために。僕たちは失った時間を心に抱きつつ、将来に向かってこれからも歩き続けて行くのでしょう。

丘の上に立つ僕のまわりには、失われた愛しい犬達がシッポをはち切れんばかりに振りながら駆け巡っているのが僕には見えます。

カマキリの夕暮れ

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日に日に太陽の熱は遠ざかり、秋の足音が大きくなってきました。風は南風から西風に変わり、産山村では白銀色のススキが穂を揺らし、黄金色の稲の絨毯が刈り入れの時を待ちます。

昼間の太陽で温められた道路には蛇達が横たわり、冬眠のその日までの貴重な暖を貪っています。様々な虫たちもその旺盛さは過ぎ去り、緩やかな死へと一日一日と時を刻みます。夕日の逆光の中に立つカマキリの孤独な長い影を見ながらFIKAも家路につく事にしましょう。

撫子の花

019

 

FIKA周辺の原野に「撫子」の花が咲いています。これは河原撫子(Kawara-Nadeshiko)といって野生種のものです。

ススキに寄り添うようにして強い風に煽られてもお互いを支え合って咲く原野の花々。野の山野草のほとんどはお互いを依り代として助け合っています。草も人と同じで厳しい環境では助け合わないと生きられないのです。

短い夏を謳歌するように原野のあちらこちらにピンクの点が見えるのもあと僅かの日々です。秋の足音はすぐそこまで聞こえだしています。

 

待梅雨明

018

 

梅雨明けが待ち遠しくなってきました。でもいつも災害が起きるのは梅雨末期。

去年も最後の最後に阿蘇は未曽有の豪雨に襲われ、その年の観光シーズンは全くの再起不能に陥りました。今年は無事に明けて写真の様な景色が早く目の前に広がるのを祈っています。犬達も雨続きで退屈の限度。

そうそう、産山村ではそろそろ蛍が舞いだしますよ。

graffti

017

 

我が家が初めて飼ったアイリッシュセターのロレンス。とても落ち着きがなく、年中ソワソワしてるなんとも騒々しい犬でした。

ロレンスとはいろいろなところに行きました。北は北海道の知床。南は九州熊本。結局僕らとロレンスはこの写真(ここは北海道知床のカムイワッカの滝の周辺です)の5年後にすべてをリセットして東京から九州へ。

 

紆余曲折を経て今はこの写真から11年を経ています。写真のロレンスは一昨年星になり、その代わりに捨て犬の二匹が我が家の家族になりました。

 

【犬の遺言】という名でこんな詩があります。

 

人間は死ぬとき
遺言を書いて、
愛する人に全てを残すという

ボクにもそういう事ができるなら
こう書くよ

可哀想なひとりぼっちの野良犬に
ボクの幸せなお家を譲ります

ボクのフードボールや豪華なボクのベットも
柔らかい枕もオモチャも
大好きな(飼い主の)膝の上も
ボクを優しく撫でてくれるその手も
優しい声も
今までボクが占領していたあの人(飼い主)の心も
あの人(飼い主)の愛も・・・
ボクに穏やかな最後を過ごさせてくれたその場所を
ボクをギュッと抱きしめてくれたそのぬくもりも

ボクが死んだら「こんなに悲しい気持ちになりたくないから、もう2度とペットとは暮らさない。」って言わないで
その代わりに、寂しくて、誰も愛してくれる人がいない犬を選んで
ボクの場所をその子にあげてちょうだい

それがボクの遺産だよ
ボクが残す愛・・・それがボク与えられる全てだから。

 

ロレンス、君の遺言どおりに我が家に迷い込んできた野良犬はお前のフードボールで毎日ご飯を食べてるよ。毎日山で遊び、毎日笑ってるよ。とても可愛い仔だよ。

でもロレンス。いやローリー。ホントは僕はお前に会いたいんだ。